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no.105 「乙女チック」の侵入を全力で阻止したい  (06.2.20

 子供の頃−そう、まだジャンプの「サーキットの狼」とかに夢中だった頃、大人が読む漫画、つまり青年誌の世界は迂闊には近寄れない畏怖すべきものだった。床屋で、食堂で、親戚 の家などで何気なく手に取ると、展開されている泥臭くもリアルなオヤジ世界から濃密な男汁がしたたり落ちてきそうで、強力に匂ってきそうで、そのディープさ、ヘビーさにページを開いた手を思わず閉じてしまうのだった。 当時から「ゴルゴ」は連載中で、他にも小島剛夕川崎三枝子佐藤まさあきみたいな脂ぎったメンツがぎっしりひしめいていたのだと思う。俺もオヤジになったら八代亜紀とか聴きながらこういうの読むようになるのだろうか・・・子供心に思った。

 さて、大人になりもなったりの今、どうだろう?八代亜紀は聴かないが、果 たして小島剛夕、川崎三枝子、佐藤まさあきは大好きになりました。だが、もうそんな人たちは青年誌に書いていないのでした。青年誌はすっかり泥臭さ、むせかえるほどに匂ってきそうな汁気なんぞなくなってしまっているのでした。さて、手元にある青年誌をパッと開いてみましょう。書いているのは窪之内栄作一色まこと星里もちる・・・なんでしょうか、この世界は?少女マンガ以上に乙女チックで線の細いガラス細工のようなマンガの数々・・・いいのでしょうか?・・・断じてよくない!

 と、声を大にして言いたいところだが、まあ時流だからしょうがないのだろう。この時流による変貌はこの15年間何故か一番お気に入り雑誌の「ビッグコミックスペリオール」の変遷をたどると分かりやすいかも。読み始めた80年代終りごろは、
板前の世界を描き毎回もっともらしい人生訓を垂れ流して終わる「味いちもんめ」(今でも連載中)
女医さんが主役だけど内容は人情派の極致でちょっとほろりとさせて終わる「とっても医院」
人情派弁護士(何故か小劇場役者を兼ねる)が人情の機微を穿って事件を解決「あんたの代理人」

 そんなしみったれた気が滅入るような義理人情教訓話ばっかりで素敵だったのが、今はどうだ?「あずみ」?「今逢いにいきます」?「怪獣の家」?随分カジュアルかつライト感覚になったものだ。

 まあ、それでも・・・カジュアルでライト感覚溢れてもそれはそれで俺は青年マンガの世界をやはり愛してしまうし、好きなマンガも実はいっぱいあったりして結局各誌を読みまくってしまうのだが、それでも納得いかないものはある。おいおい、いくらなんでもそれはないだろう、と叫びたいものがある。

 先週出た「モーニング」最新刊で「G.I.D.」とかいう連載が始まった。性同一障害を抱えた娘と家族の苦悩と葛藤を描いたもの。 テーマはまあ興味深い。だが・・・なんだこの絵は?作者、庄司陽子? キョンキョン(死語)主演で映画化され、また実はTVドラマ化もされているが、こっちは誰も覚えていない無名のさえない華のない役者のみで(松村雄基のみ例外)埋め尽くされ、当然あまり話題にならなくて、俺も別 に忘れていいはずなのに盆踊りみたいな変な主題歌のせいで印象に未だに残り続けている「生徒諸君!」の原作者だ。成績もトップ、スポーツも万能、家も大金持ち、性格も明朗な欠点一つない主人公がクラスメイトをどんどん子分にしていく・・そんな内容だったように思うが、とにかくこの絵はないだろう。庄司陽子はないだろう。そう叫びたいのだ。中野区の真ん中で。

 「モーニング」誌は元少女マンガ家の導入に最も旺盛な青年誌のようだ。かつては前衛的な外人漫画家の紹介(どれもとても読めたものではなかった)にあけくれていたが、どうやら飽きたようだ。 で、「天才柳沢教授」の成功に気をよくしてるみたいで、「教授」の山下和美 の他にも惣領冬美、小椋冬美、松苗あけみとかを少女漫画界から引っ張り込んできている。 ところでなんだこの冬美つながりは?と思われるかも知れないが、この二人の冬美は少女マンガ時代から絵もよく似ていて、掲載紙も一緒で、俺には区別 がよくつかなかった。どちらもひたすら外人の男女しか出てこない。どう見ても外人にしか見えない美男美女が作品によっては日本人名で呼び合ってることがある(男の多くは髪が真っ白。プラチナブロンド?)。え?日本が舞台なの?と、思うが、外国が舞台の時とキャラの絵柄が全く変わらない。これが少女マンガの王道である。山下和美もそう。柳沢教授も外人(松苗あけみは少し違う)。東陽片岡、いましろたかし、青木雄二みたいなこれぞ日本人という顔の描き方を愛する俺には堪えられないセンスだ。

 惣領冬美は「ES」とかいう男性も興味を示しそうなサイコバイオSFホラーに挑戦したが、少女マンガ的感性との折り合いがつきようもなく、今は諦めて「チェザーレ」とかいうヨーロッパの中世貴族のイケメン世界を書いている。ちょっとお耽美入っててどこかしらホモくさい。こんな世界、モーニング読者のうちの誰が喜ぶのだろうか?

 他にもモーニング増刊では岩館真理子がたまに書き、 姉妹誌の「イブニング」ではくさか里樹が連載を持っている。くさか里樹って何だよってお思いの皆さん、こういうペンネームって少女マンガにはありがちなことです。「池野恋」とかね。ある業界では最近「蒼井そら」とか「難波杏」とか「紋舞らん」とかいったベタな語呂合わせネーミングが大流行だが、同じだね。まあくさか里樹は確かに少女マンガ時代からどことなくエロくさかった。

 この辺の作者って大体1950年代後半生まれで、もう現在の少女の感性に響くものは書けなくなっているのだろう。少年マンガや青年マンガはジジイになっても書けそうだが、少女マンガはそうはいかないだろう。自分の中にリアルな乙女心をキープさせられるのは30代ぐらいが限界なのではないか?おまけに小娘どもはよく言えば流行に敏感、悪くいえば時流に流されやすい。大元のラブの形は一緒でも、スタイルがどんどん変わっていく。ファッションやらライフスタイルやら言葉づかいやら(これ大事)が・・・いや、大元のラブの形、本当にいっしょなのだろうか?木の影から野球部のキャプテンをこっそり見つめ、ほんのり頬を赤らめて「せんぱい・・・」とつぶやいたりする愛の描き方なんて今でも通 用するのだろうか?「♪知り合った日から半年過ぎてもあなたって手も握らない」と、80年代に松田聖子は歌った。当時は「ああ、彼氏はちょっと奥手で真面 目なのね」ですんだが、今こんなの歌ったら「それって何のフェチ?手は握らないけど足の指舐めたりするの?」みたいに突っ込まれるのがオチだろう。とすれば、別 マとか今どんなマンガが描かれ、どんな娘が読んでるのだろう?すごく不思議になる。街を歩くと、通 りを行く娘さん達は
「本当に好きなのはS君だったけど、Sの先輩のTと部屋で二人きりになったら、なんか向こうが迫ってくるのでこっちもまあいっかと思ってやっちゃいました。ちなみにS君とはまだです。」
みんなそんな生活感情で暮らしているように見えます。こんな感覚が蔓延する風潮の21世紀にどんな少女漫画的感性が介在し得るのか全く謎です。少女マンガ誌が全部廃刊してもおかしくないとすら思うのだけど、今は今なりの描き方があるのでしょうね。
 
とにかく、そんなこんなで少女マンガ家は他の漫画家より活動有効期間が短い。でも画力他技術的な部分は、少女的感性の衰退とは裏腹にキープまたはむしろ向上していくだろう。で、多くの書き手はどうするかというと、少女を卒業してレディースコミックに行く。ちなみに過激な描写 第一人者の定評があり、村崎百郎(今何してんの?)と組んだ作品もある(私生活でも「組んだ」)森園みるくもデビューは少女マンガである。あまり乙女チックではなくて、俺がたまたま読んだやつはことあるごとに「愛し合ってるか〜い」と叫ぶ忌野風テンションキャラに押されながらいつの間にか好きになるというちょっと異色な作品だった。 そんな感じで少女マンガ家の賞味期限が切れる→レディースコミックに転身という図式も王道であり、「キャンディ・キャンディ」(とそれにまつわる訴訟)で有名ないがらしゆみこにもレディ・コミ作品があるという。キャンディみたいなそばかすキャラが職場の上司と鶯谷のラブホテルとか行くのかねえ。読みたくねえ(いや、本当はちょっと読みたい)!

 レディースコミック以外にもホラー専門誌に活動の拠点を移すとか「卒業」後の選択肢もいろいろあるようだが、とにかくマンガ以外のつぶしはきかないし飯食いっぱぐれるわけにもいかないので少女マンガ家からは撤退してもマンガ家は続けたい女性達はいろいろ可能性を模索することだろう。そして、青年マンガが今「卒業後の進路」として白羽の矢が立ちつつある。だが、俺の気持ちとしてはこれを阻止したい。だって乙女チックなままなんだもん、どこかしら。キモいんだよ、書いてるやつも読んでるやつも。脂ぎったオヤジの汁たれながしてみろよ!

 まあ汁にたぎってはいないが、スピリッツ系に時折出現するさくらももこ(「りぼん」出身)、佐々木倫子(白泉社系)はまあ許容範囲。もともと少女マンガ時代もラブラブマンガじゃなかったし、耽美臭くもないから。外人じゃないし。講談社系より軟弱ラブコメとミルク絵の総本山小学館系の方が許せるなんて・・・妙だな・・・でも、振り返ってみるとヤンマガあたりに小林じんこだの高倉あつこだのが書き出したあたりから事態は変貌しだしたような気もするので講談社に罪はないとは言えない。でも、俺は声を大にして言いたいね。最大の功罪は柴門ふみである、と。もともと少女マンガ(出所は言わずと知れたアイツの弟子)じゃないが、ちょっと大人のディープな事情も取り入れましたみたいな感じで、でも、踏み込み加減が少女並み、つうか乙女の感性のままに会社とか人間関係のちょっとしたドロドロとかセックスとか大人のイディオムを駆使しまくり、恋愛の神様恋愛の教祖、として青年誌にコイツが君臨したその意味は大きい。セックスを導入しても少女趣味は少女趣味。まあ大半のレディースコミックにもそれは言えることだが、ともかくも柴門ふみの存在が多くの少女マンガ卒業予備軍に「これでもイケるんだ」「意外とチョロいのね」という大いなる希望を今後も与え続けることであろう。

 夕月光、立原あゆみも少女マンガからの転身だね。この辺になるとかつて少女マンガ描いてたと言う方が奇跡に思える。夕月は「エリート協奏曲」のころからビキニがとれてオッパイがモロだしとか(少女マンガにしては)どぎついエロ描写 が多かった。男がこんなの喜んで描いてるのを当時の多感な女性達はどう受け止めていたのだろう。 立原あゆみはやくざこそ出なかったがやはり「麦ちゃんのヰタ・セクスアリス」とかエロ度強かったように思う。こういう人たちは本来のポジションに行き着いたと誰もが思う転身の仕方なので今まで述べた「卒業」の形とは違う。

 で、ついでだから最後にいつもの決めぜりふ「小娘のメンタリティに興味はねえんだよ」


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