ジャンル名にJの称号をつける恥ずかしさ、ダサさ、頭悪い感。それを示すために「J-POPはいいがJ文学は死ね」を書き連ねてきた。が、この作業はポジティブさに欠けるような気がしてきた。人生と世界に起こる全ての現象をまるごと全面肯定する事は出来ないが、なるべく多くの事象を楽しく受け入れる術を探求することこそがゴキブリ・コンビナート・スピリッツではないか。そういうわけで気が変わった。これからはこれでいく。
「いっそ全てにJつけちゃえ!」
もちろん、J文学万歳!このダサさを積極的に受け入れてくことこそが現実主義的な人生態度だ。リアルな生き方だ。そういう訳なので、とりあえず適当なジャンルを思い浮かべてそれにJをつけたときどういうことになるか想像して楽しんでみよう。
しかし、「J」とは何だろうか。Jポップは単に「邦楽」という意味ではない。これもかつて書いた事だが、「渋谷系」の衰退とJポップ(という称号)の台頭はリンクしている。チャゲアスや小田和正が流行っている頃は「邦楽」は「Jポップ」とは呼ばれてなかった。「選ばれた人間だけが聴くモードな音楽と大多数の人間が聴くダサい音楽」という枠組みが無化さえた時代にJポップという言葉が生き始めたのだ。そこでは「洋楽がかっこいい本物の音楽で邦楽はダメ」というものもかつての説得力を失っている。J文学という言い方にも、それはただの日本文学というだけではなく、「新しい世代はポップ・カルチャーに近い文学をつくるはずだ」という期待が込められている。もちろんそれが根拠のない盲信であることを私は「J文学は死ね」のなかで強調しているわけだが・・・
すると、Jをつけるというのは、さえない、地味なジャンル(文学のような)をJポップのような程よくポップでオシャレな若者文化に近づけていこうという素敵な悪あがきをさすということになろう。
J短歌 J俳句
前に「J短歌なんか出てきたらどうするんだ」とか書いたので、今度は逆に「出てこいJ短歌」でやってみる。「短歌や俳句は本来日本固有の文化なのだからJもへったくれもないだろう。」という意見もありそうだが、あえて、Jをつけるとするとそれは、「もはや文化としてのリアル・タイム感を失って単なる伝統芸能保存会と化した短歌界、俳句界に対抗して若者も楽しく読める短歌、俳句をつくろうとしている人達」を指すことになるだろう。「そんなヤツらが本当にいるのか」といわれそうだが、いるのである。それは短歌版谷山浩子こと俵万智のことではない。阿久津英とか枡野浩一とかいう人達だ。とくに「SPA!」とかによく書いている枡野浩一。自称肩書きは「特殊歌人」。よく臆面もなく「特殊」とか自称するものだ。そんなやつにロクなやつはいない。特殊漫画家を自称した根本敬氏は確かに本当に過激だったかもしれない。彼には全マンガ界を敵に回しても自分のスタイルを貫こうという姿勢があり、その決意表明が「特殊」だった。しかし、彼をオシャレだとする変な風潮が3〜4年前にあり、その尻馬にのって、そしてあやかろうとして全然特殊でも過激でもないただの二流の人間達が次々に「特殊」を自称したのだ。枡野氏もその一人だ。それだけでも枡野氏の言語感覚がどのようなものか実作品を読むまでもなく伺い知れるというものだ。そんな彼にこそ、「J短歌」の称号はふさわしいのではないか。彼も喜んで受け入れるだろう。
Jアート
村上隆、伊藤ガビンなど、10年ぐらい前、大森のレントゲン芸術研究所でやったあの展覧会に参加した連中。展覧会の名前は忘れたが、椹木野衣がキュレーターで、アヒルちゃんのチェンソーだとか、白いダッコチャンとかを展示していたアレだ。ただ、アイソレーションタンクのヤノベケンジ氏は真摯な芸術家だと思うので違うと思う。「美術手帖」という雑誌の表紙には「BT」と大きくロゴが打ってある。「びじゅつてちょう」だから頭文字で「BT」。カッコイイデスカ?もしかして、狙い?本気でかっこいいと思ってやってるんだとしたら、あの「BT」こそがJアートの「J」のニュアンスを体現してると思う。普通の人はかっこいいとは思わない。
J演劇
演劇も本来的に地味でイケてないジャンルだと思う。真っ当なセンスの人間は普通興味わかないだろう。女性の皆さん、ブレヒトとかシェイクスピアとかチェホフとかの話を楽しそうにする人と、あなた、つきあいたいですか?そこで、演劇をサブカルチャーの一ジャンルとして認知させるための涙ぐましいほどの様々な試みが始まる。そんな作業に携わっている人達をJ演劇の人間達と呼びたい。基本的にブラックな笑いか、不条理な笑いを探求している場合が多い。劇団間の交流も盛んのようだ。
もちろんゴキブリコンビナートはJ演劇ではない。というか、ゴキブリコンビナートはJ演劇に敵対していると思う。ただ、サブカルチャーの存在すら知らないまま、といってチェホフや近松みたいなシブイ路線に行くこともなく、ただ、漫然と「風の谷のナウシカ」と「銀河鉄道の夜」を足して2で割ったような芝居を、つまり、癒しと慰撫の演劇をやっているのが小劇場界の98%を占めている現状において、J演劇という試みは貴重だと思う。非常に良質な表現をしていると思う。そういう人達にすらアンチを投げかけるゴキブリコンビナート、売れないのも当然という気がする。人間関係や横のつながりが劇団を発展させる上で重要なカギを握る小劇場界で一匹狼としてやっていくのはとてもしんどい。でも、ジャンル内孤立こそが表現者としての素敵なアティテュードだと信じ込んであえてそうやっているのだからしょうがないか。
後で分かったことだが、枡野氏は本当にJ短歌を自称していた。ギャグか本気かは未確認。
今週、来週にかけて私は5本ほどの演劇作品を見ることになっている。これはスゴイことだ。なぜなら私は年に3本ぐらいしか演劇を見ないから。もう来年の上半期分までの芝居を見てしまうことになる。だから、今年のベスト5がもうつくれてしまうのだ。しかも、いつもは、つきあい上見なくてはならない劇団が多く、ここで取り上げてもしょうがないもの(スパイラル・ムーンとか、知ってる?)が多いのだが、今回に限って最近注目の若手劇団を見ることが多かった。小劇場界の流れを全く無視して活動している私には「ああ、今こうなってんだ。」といういい勉強になった。そういうわけで
1位 ロリータ男爵 「犬ストーン」
これを見て感じたは今はぬるい小技の時代だ。と、いうことだ。その辺にいそうでいないぐらいの変わったキャラの人達が出てきて、ちょこっとした言い淀み、かみ合わない会話のズレ、ボケへのわざと遅めのツッコミ、表情の微妙な変化等で笑わせる。ちょっとトボケた感じで淡々と進んでいく。客席がわっとわくことはあまりないが、くぐもったくすくす笑いが絶えることがない。私も結構笑った。舞台作品を見て滅多に笑うことがないこの私が、だ。よって1位。自分の目指してるものと根本的に違うことをやっているので逆に安心して楽しめる。
今、自分の目指しているものと根本的に違うと書いたが、逆にいちばん親近感を持てる劇団だという気もする(ゴキブリコンビナートに親近感など抱いて貰ってもうれしくないだろうが)。そもそも、我々が目指してるものと根本的に違わない劇団など1つもないし・・・90年代半ばミュージカルなど絶対にやってはいけない雰囲気というのがあった。やったらバカにされる雰囲気が。それが分かってて我々はわざとやった。そして、彼らもほぼ同時期に始めた。もっとも我々と彼らのミュージカル観は同じではないと思う。我々は別にダサいことが好きなわけではないが、ダサい、ダサくないの基準で全てを片づけようとする人間全てに喧嘩を売るつもりはあった。彼らはどう考えてもそうではないだろう。ミュージカルの大げさ感にも関心ないようだ。でも、あの時期に始めたのは侮れない。逆に、今までミュージカルってダサいからダメとか言ってた
クセに今年になって、そろそろいいかとか言って始める人間を私は心から軽蔑する。
もっとも親近感を感じたのはミュージカルだからではない。すべてを元も子もない、ショボい落ちに落とす所だ。我々はそれを死にものぐるいのハイ・ボルテージでやる。彼らは我々ほど恥知らずでないので、淡々と、可愛く落とす。そこで、後味が変わってくるので、彼らと我々で共通のファンは存在し得ないだろう。だが、私は彼らがそんなに嫌いではない。私にも笑いのツボが分かる希少な劇団なので。
2位 ブリガドーン 「セックスはなぜ楽しいのか」
ここの主宰の二村仁氏がかつて主宰していた「パノラマ歓喜団」。15年前ファンだった劇団だ。私が唯一影響を受けた劇団と言ってよい。どこを影響受けたのかと言うと「カジュアルな演出」というとこだ。現実的にありえない発声、話し方で自分を必要以上に大きく見せる演技をしてはいけない。これは今でも肝に銘じ続けていることだ。人間無理をしてはいけない。等身大で狂気を、変態を、残虐を表現できないのならしなくていいのだ。
しかし、もはや、カジュアルな演出はもう鳴りを潜めていた。豪華な客演陣、映像の使用、スカしたダンス。かなりJ演劇よりである。かなり見ていて辛い部分もあった。特に、二村氏でない演劇人がゲスト演出した2作品は全く理解不能。二村氏と他のジャンルの人とで組んでやった部分は適当に面白かった。セックスがどうとかいうより、どうってことない小技の部分が。やはり、小技の時代なんだなと再確認する。
3位 絶対王様 「猫のヒゲのしくみ」
去年のガーディアン・ガーデンで一緒だった劇団。ここもぬるさを売りにしてるが、実際見ると余りぬるくない。シャキシャキとテンポのよいボケとツッコミがはっきりした関西人らしいつくりになっている。ギャグに継ぐギャグでミもフタもなく終わるかと思いきや、結構しんみりした後味で終わる。おセンチが入っているのだ。ひょっとしてフジヤマカンビ?(観たことないけど)非常に関西人らしい。本来、自分のような人間が見に行くような芝居ではない気がする。ただ、ゲスト出演している女優がスゴイ顔だ。見事!
以上、今年のベストでした。え?「さっきベスト5をやると言ったじゃないか」だって?確かに他にも何本か観たが、何の刺激もないし、何の勉強にもならなかったというか、明らかに自分とかけ離れた世界の芝居だったので、コメント出来ない。この一応コメントすることがあるこの3本を今年のベストとすることにする。こうしてみると、やはり、今は「ぬるい小技の時代」なのだろう。今、小技でやらない劇団は全てカスだ。バカだ。鈍感だ。と、断言してもいいだろう。というわけでことある毎にこう叫ぼう。
小技万歳!!全ての劇団よ。ぬるい小技の芝居以外はやるな!!
え?お前のところはどうなんだって?ゴキブリコンビナートは例外に決まってるだろう。例外枠は1つだ。「俺達は例外だ。」と、胸張って言える集団が他にいるとも思えないしね。
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