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vol.39 全てにJをつけろ!(00.11.12)【※11/23分の続・全てにJつけろ!はこの下にあります。】  

 って言っても、Jお茶漬けとか、Jゲートボールとか、J柔道(枡野浩一)とか、 いったことではなく、表現とか、芸術に関しての話である。
 この間、本屋で、「J−フォトグラファー」という雑誌(?)を発見した。全く違和感も異議もない。写 真(フォト)、映画(ムービー)、マンガ(コミック)等は、 そもそも、普通の人の生活に深く密着した、つまり、本来的にポップなジャンルであ り、それにJをつけても、事情はJポップと何ら変わらない。別に恥ずかしくないと思うよ。
 だが、例えば、カンヴァスに油絵の具で描かれたもの、彫刻、ホラーやミステリー やSFではない純文学の小説、現代詩などは、少し敷居が高いというか、特別な教養 がないと、入り込んでいけないいわば、「ポップでない」ジャンルである。つまり、 研鑽を積んだ知的エリートが知的エリートに向けて、放つ表現であり、それにJがつ くと非常に不思議なニュアンスを持つことになる。J文学がそうだ。
 前回Jクラッシックという幻聴の話をしたが、こういったJはひたすらマヌケで下らなく、性格悪そうだ。もう、Jをつけるブームは終わったと思っていたのだが、例 えばクラッシック音楽のように象牙の塔みたいなところで浮世離れしていると、我々との間にタイムラグが生じ、「今こそJだ」みたいな気運が今頃盛り上がってくるの かもしれない。そこで、再びJをいろんなジャンルにつくことを予言して、そのニュ アンスを楽しんでみよう。予言!私はポルノグラフィティのブレイクを当てた男。少 し調子づいているのだ!

 まず、格調高い日本の伝統美の世界にJをつけてみよう。
 J華道、J茶道、J歌舞伎、J狂言、J能、J雅楽(J純邦楽?ワケわからん)。

   格調高さが台無しだね。でも、あり得る。とくに私が恐れているのはJ歌舞伎だ。 これは、本当に誰かが提唱しそうだ。そして、私の中では絶対的に存在してはいけな いモノだ。
 そもそも、どうして、歌舞伎の人ってテレビとかに普通に出てるんだろうね。ネスカフェの違いの分かる男のCMなら、別 にいいよ。でも、「今夜はカンクロー」って 一体何?古い話で恐縮だけど。どうして、現代映画とか撮れるの?歌舞伎の才能とどう結びついてるの?でも、小山内薫とともに日本の新劇を提唱した人物に市川左団次 というのがいる。つまり、日本演劇の近代化のそもそもの幕開けに歌舞伎の人が関わっていたのだ。まるで篳篥や笙の名手がビートルズを日本に紹介するようなもんだ。
 そのまま、ずっと歌舞伎の人たちは日本の演劇界やら芸能界に居座り続けているのだ。そして、NHKの大河ドラマに出たりとかしている。そして、歌舞伎の血筋の女性は歌舞伎役者になれないので、普通 のドラマでキムタクと共演したり、CD出したりしている。歌舞伎界の力を甘く見てはいけないのだ。
 そこで、J歌舞伎だが、きっと設定は現代だ。服も現代調に洋服とか着てて、セリフも現代口語体だ。ギャル役とかあって「ってゆうかぁ・・・」とか女形がやってたりして、でもあくまで発声はあの歌舞伎調なのだ。さあ、みんなも歌舞伎発声で言っ てみよう「ってゆうかぁ・・・」あと、歩き方とかもなぜか歌舞伎歩き。それって面 白いのかな。誰が観るんだろう。でも、需要がなぜかありそうで恐いのだ。
 能や狂言は歌舞伎のように芸能界や商業演劇界に食い込んでないので、単純にシッ クなジャンルとして、尊敬できる。でも、20代30代の若い狂言師はモテたいとか 、若者にちやほやされたいとかいう邪欲でいっぱいかも知れない。人間国宝になるのが待ちきれず、何とか若いうちに育ちの高貴さをうまいこと使っていけてる若者ライ フを人の20倍エンジョイしたいとか思っているのではないか。その辺からアップテンポの能やら、近代楽器をフィーチャーした狂言が生まれてきそうで恐い。

TOPPAとかいう京都の能の名家のご子息達で結成している能アイドルグループの一人。

ご存じ狂言師のアイドル
NHKのドラマによく出ます。


続・全てにJをつけろ!(00.11.23)

 さらにこれはどうだろう。
 J民謡 J日本画 J水墨画 J建築 J書

 J民謡は金沢明子の「イエローサブマリン」が不徹底だと思うので是非実現した い。エレキギターやドラムの導入ぐらいではつまらない。むしろ、楽器はそのままで カットアップ、リミックス、サンプリングで音の趣を変化させ、ポップ感を出して欲 しい。でも、もう誰かやってそうだな。
 J日本画は、Jのあとに日本とかついてマヌケだが、私の予想ではそもそも現代日本画が日本的なモチーフにこだわることを脱しているのではないか。事情通 の人は教 えて欲しい。以前は多摩美術大学の日本画科の役者とかいたんだけど、連絡つかなく なってしまったので。もし、そうだとするならそれにポップさが加わってもあまり、 面白くないなあ。 ということで、Jと日本画の組み合わせにあまり面白さを見いだせないのだが、逆に 日本画は結構穴なのではないかという気がしてくる。つまり、若々しいポップな日本画家があらわれる可能性があるのではないか。そして、日本画ブームが起こるのでは ないかということだ。なぜそう思うのかというと、日本画を定義するものが、画材だ からだ。例えば、俳句がなぜ575でなくてはならないとか、歌舞伎がなぜああいう発声(どういう美学によるのか知らないが、ふざけているようにしか思えない)で話さなくてはならないとかみたいな、形式上の制約の謎度が少ない。表現形式に制約は つきものだが、それが、素材を選択したことによる物理的事情によるものだと、無教 養な現代人の典型たる私にも納得がいくのである。例えば、マンガはアニメのように 動いたりしないし、実物に接するように匂いを感じ取ったりすることはない。それは 制約と考えれば制約だろうが、それはマンガが印刷物であり、紙の上にペンで描かれ たものだからしょうがないことだと納得できる。吹き出しやコマ割りといった限りな く約束事に近い表現上のルールがあるが、時間という4次元のものを2次元上で表現しようとしているし、PAシステムが付属しているワケでもないので、我々はそのル ールを自然なモノとして受け止めている。形式上の制約の謎度が少ないとはそういうことを指して言っている。季節感を表現したいと思ったときどうして、575にまと めなくてはいけないのか、これは素材からくる規則ではない。
 そういう意味では水墨画に関しても日本画と同じことがいえる。J水墨画なんて言葉は聞きたくないが、ポップな水墨画はあってもいい気がする。水墨画の表現上の制 約が画材(墨汁)によるものだから、逆にセンスの上では何でもアリではないか。も う、誰かいるかもしれない。いい人いたらおしえて!
 そういうわけでJをことさらつける気にはなれないが、応援したい表現形式として 、民謡、日本画、水墨画を挙げておく。ポップの新たな領域として期待できるが、ただ、だからといってあまりに安易にポップと結びついては欲しくない。ポップの道も それはそれで厳しいのだ。水墨画でアイドルでも描いとけばいいってもんじゃないんだよ!深田恭子に負けない水墨画上のアイドルを生み出して見ろ!egg読者も聴ける民謡を作って見ろ! ポップになるってことは既成のポップに媚びへつらうようなオマージュを捧げるって ことではないんだ。マリリン・モンロー描けばいいってもんじゃないんだよ。
   ところで、J建築はどうでもいいとして、J書が残ってしまった。「ジェイショ」 って響きはいいけどね。「ジェイノウ(J能)」と同じくらいにね。そもそも小学校 入学時から「字が汚い」といって先生に怒られ続け、あげくには「そんなに字が汚い と大人になって苦労するぞ」とまで脅され、ますます頑なに字を丁寧に書くという作 業を拒み続けてきた私(書き順も滅茶苦茶)に書のことを云々する資格は全くないの でした。字なんてどうでもいいじゃん。


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