Dr.エクアドルのJ-POP大好き目次へもどる。


純情パイン(01.5.8)

 みんな。ジャンプ読んでるかい。私は毎号買っているよ。買うと全部読むよ。マン ガといえば少年漫画。少年漫画といえばジャンプ。これ王道だよね。少年ジャンプを 読んでない人間がマンガ好きとかいっちゃいけないよ。
 とか、偉そうに決めつけてみたけど(例によって)、ジャンプを毎号読むようにな ったのは最近のことだ。といっても毎号買ってた時期は過去になかったわけじゃない 。小学生のころも買ってたな。池沢さとしの「あらし三匹」(「サーキットの狼」の 前に書いてた原始人がいっぱい出てくる少しエッチなマンガ)とか、「女だらけ」( 柳沢きみおの初連載作品)とか、ドリフの似顔絵キャラが活躍するマンガとかやって たな。それからジャンプはずっと定期的に買ったり買うのをやめたりしてきた。ジャ ンプ歴30年だ(人生の半分!)。これって一生ジャンプってことかな。  これを今読んでいる方で、ジャンプなんて子供っぽくて読めないなんておっしゃる 方も多いだろう。そんなあなたはどんな漫画雑誌が好き?漫画ゴラク?漫画サンデー ?そういうのがお好きなあなたは確かに大人。ジャンプなんて読めないよね。でも、 スピリッツとか言うんだったら違うぞ。断じて違うぞ。子供っぽさに大差ないと知れ !高橋しんとか、浦沢直樹とか、細野不二彦とかの漫画に描かれる安い世界観が成熟 した大人の視点だとまさか本気で思ってないだろうね。
 ジャンプなんて子供っぽくて読めないなんておっしゃる方の何割かは「スポーツも のや格闘系のストーリー漫画はまだしも、小学生向けのギャグ漫画なんか読めないよ 」という言い分をお持ちだろう。だが、長いことジャンプを気にしてなかった私をジ ャンプに引き戻したのは、あるギャグ漫画がきっかけだった。その名も「純情パイン 」!尾玉なみえという女性が描いているね。
 でも、10週あまりで打ちきりになってしまった(今ジャンプ買ってもやってない) 。人気なかったんだね。好きだったのに。でも、単行本が出たのでそれは買った。で も単行本も一冊っきりだし、すぐ廃刊になるだろうし、例えばメディアなんかで話題 にされることもなく人々の記憶から忘れ去られていくんだろう。
 だから、この私が書く!この無名劇団ホームページ内コラムを利用して書く!「純 情パイン」面白い!傑作!ガキ向けとも思えないくらいギャグが冴えている!上手い !レベル高し!(と、いってもDr.エクアドル的にレベル高いってのはもしかした ら世間的にはレベル低いってことを意味するかも)  大人と子供のギャグの感性は違う。例えば電車とかで小学生同士がじゃれ合ってて ふざけたことを言い合ってるのが聞こえてきて、「そのギャグ最高じゃん」とか思っ たりするだろうか。むしろ、殺意を抱く場合が殆どじゃないだろうか(うるさいから )。小学生の放つギャグで大人は笑えない。同様に大人が小学生向けにギャグ漫画を 書くときは小学生の笑いの水準を考慮して書くはずだ。  ジャンプを買ってない頃、「ついでにとんちんかん」とかいう漫画があった。アニ メ化されたりしてた。ものすごい変わり者の学校の先生がギャグをとばしまくる漫画 で、「いきなりしりみせ」とかいってズボンをズリ降ろしたりするのが得意のギャグ だった。こんなネタで大笑いするのが小学生というものだ。大人は笑わない(でも、 チンポ出し劇団のギャグってこんなかんじかも)。
 では、「純情パイン」が例外的な作品だというのであろうか。だが、いまのジャン プのギャグ漫画、実は結構侮れないのだ。例えば「純情パイン」と入れ替わるように して始まった「ボボボーボ・ボーボボ」(何だこの題名)。毎回支離滅裂に話が飛び まくり、何がなんだか分からなくなるかと思えばそれなりに収拾がついて(敵がやっ つけられて)話が終わる変な漫画。「純情パイン」みたいに「これが小学生向けか! 」という驚きはないが、テンションの高い飛躍の連続が結構心地よい。この連載もも うすぐ10週目を迎える。打ち切りになってしまうのだろうか(ジャンプにはとりあえ ず有望な新人や企画に10週連載のチャンスを与え、その10週の人気で以後連載継続か どうかを決めるシステムがある)。長期連載の「世紀末リーダー伝たけし」にしても 展開は小学生向け漫画の文法にのっとってるが、会話の掛け合いのセンスがヘタな青 年誌の漫画よりも凝ったものを感じさせる。いいオトボケ具合(死語?)だ。
 それに比べて青年誌のギャグ漫画は、一様にダメだ。っていうか、青年誌ギャグっ てもともと小島功とか、黒鉄ヒロシとか、ああいった地味でたるいテイストのユーモ ア漫画がずっと主流で、そもそも本質的に大人のギャグ漫画はダメだったような気が する。一時吉田戦車とかの「不条理漫画」みたいなのが、流れを変え、一般青年誌に も屈折感のある高度な笑いもアリだという風潮を作ったわけだが、そういう風潮も一 段落し、もともとの状態に戻ったと言うことなのかも知れない。ギャグのもっともリ アルタイムな部分はそもそも少年漫画の中にあったということか。  わりと若者向けの青年誌(スピリッツとか「ヤング○○」みたいな誌名のやつ)の ギャグ漫画は一様に元気がない。そしてつまらない。ベタにもなれず、屈折やら過激 やらもこれ以上極める余地もなくなってどよ〜んとしたなげやりなムードが漂ってい る。
 といってジャンプ以外の少年誌の漫画もそうたいして元気があるわけではない。私 はジャンプ以外にもチャンピオンも毎号買っているが、パンダのでてくるやつとか、 ツチノコのでてくるやつとか、昔ながらのどうってことないものばかりだ(「浦安」 は例外)。
 これはどういうことだろう。別におこちゃま達の知的レベルが向上して(ますます マセガキが増えて)、子供もそれなりのレベルのギャグ漫画を要求する時代になった ということではないだろう。子供なんてみんなが思ってるほど変わっちゃいないよき っと。
 ではジャンプの編集方針が変わったということだろうか。ギャグに対する編集者の 選択眼が冴えてきたことだろうか。たしかに「すごいよマサルさん」以降少しテイス トが変わったような気もするが、多分根本的な変化などではなく、一時的なトレンド だろう。
 直にジャンプも普通につまらなくなるだろう。この幸福な時期はそう長くは続かな い、きっと。まあ、たまたまジャンプをチェックして「純情パイン」みたいな漫画に 出会えた幸運をせいぜいかみしめよう。
 もしかしたら私の感性がオヤジ化して、青年誌の若々しい感性にもはやついていけず、子供向けギャグ最高みたいな境地に戻ってしまったのかもしれない。それは大い に考えられる可能性で、いずれ起こる宿命みたいなものだが、青年誌系の元気のなさ はそれでもやはり事実だと思う。

 

「何の役にも立たない観劇ファイル」復活!!
       いろんな劇団を敵にまわそう 1(01.5.8)

   「他の劇団のことなんか気にしてもしょうがないし、そもそも自分には芝居を云々 する資格などない」という気持ちから、「何の役にも立たない観劇ファイル」という シリーズを自ら封印してしまって1年以上経つ。だが、ちょっと再開してみることに した。理由は別にない。ただ、ゴキブリコンビナートの動員数はちっとも増えないに も関わらず、知名度だけは中途半端に上がっているみたいで、他の劇団の人と出会う 機会も増えて、性格上出会ってしまうとあからさまに敵対する態度がとれず、なんか 演劇界のいい人になってしまうのではないかという余計な心配など芽生え、余計な心 配だと知りつつもそれが結構ストレスの原因になっているので、まだ知り合いになっ ていない劇団の悪口などを書いて、「これでまた敵を増やしたな。俺って一匹狼?」 と勝手に思いこんで(もちろん向こうは何とも思っていない。アウトオブ眼中!!)精 神的なバランスをとろうという陰湿な試みなのである。  一本目はこないだ観たルナパーク・ミラージュの「火男」!でも、ここのことをあ まり悪く言う気になれないね。本物のアングラの生き残りといえる貴重な集団だ。ゴ キブリコンビナートもアングラ。アングラバンザイ!アングラ大好き!
 ここは翠羅臼という人が主宰をしている。翠羅臼氏はかつて曲馬館という劇団を主 宰していた。リアルタイムでは知らない。ただ、風の旅団、水族館劇場もそこから別 れ、翠氏の夢一族と共に、80年代以降かつてのアングラが適度に日和って表現を弱体 化させていく中で、昔ながらのテンションを維持し続けている一派を形成していた。  時代の変化を顧みないヤツらサイコー!これは皮肉じゃないよ。表現者にとって大 切なことは初心を忘れないことなんだ。なぜそういう活動を自分は始めたのかを自ら かき消していくのならやめちまったほうがいい。時代の変化より原風景のほうが大事 !時代なんて勝手に離れていったりまたくっついてきたり(あるいは永久にくっつい てこなかったり)する。媚びる必要なし!
 そもそもアングラが80年代に時代とそぐわなくなったなんて言われているけど本当 だろうか。常識っていうか「定説」みたいになっているけど。  野田秀樹の「遊眠社」だとか鴻上尚史の「第三舞台」とかが筆頭になって盛り上っ た80年代小劇場ブームみたいなのって本当に怪しいと思う。このブームがアングラを 時代遅れなものにしたわけだけど。私たちもよく、「大昔へのノスタルジーで活動し ている」みたいな批判をよく受ける。たぶん汚さとか危険とかワイルドとかそういう イメージが少しでも入るとそういう風に言われるんだろう。でも、汚さや危険を盛り 込むことが本当にノスタルジーでしかないのだろうか。
 80年代小劇場ブームを盛り上げたスピリッツの根底には、ネアカ主義と朝シャン文 化とネオ中流意識が絶対にある。これは確かに当時の時代をムードを象徴するものだ 。わけ分からないと思うので一つ一つ説明しようか。ネアカ主義っていうのは「ネア カ、ネクラ」という当時の流行語が物語っている「ネアカ=善。ネクラ=悪」という 思想だ。その思想に基づいて表現からダークサイドが一掃された。朝シャン文化はデ オドラント文化と言い換えてもいい。若者がことさら清潔を志向し、キタナイもの嫌 がる風潮が80年代になって顕在化した。キタナイ芝居やキタナサをテーマにしたエン ターテイメントなど考えられないって感じ?ネオ中流意識とは、80年代になったら前 よりもみんなお金持ちになったような気がしたという「幻想」だ。貧富の差について 語ることは時代遅れとされ、貧乏くさい要素を徹底的につついてダサイ表現と見なし た。だが、「マルキン、マルビ」の流行語を産んだ「金魂巻」を読んでもそんな風潮 こそが無根拠な集団妄想であることがよく分かる。
 以上の3本柱が当時のあらゆる表現や人間関係に説得力を持ちまくるのだが、演劇 以外のジャンルはそういった風潮に対する疑念を提出したり、あまり影響をうけない 部分をもってたりしていた。演劇だけが完璧に風を受けまくって色に染まりまくった のだ。そして今、世間は別にネアカ至上主義でも朝シャン文化でも勘違い中流意識で もない。そういう思想は死に絶えたとまではいわないが、すごく希薄になっていると 思う。っていうか暗いものキタナイもの貧乏くさいものに対して80年代よりもおおら かな対応をするようになってきている。演劇だけがいまだにネアカで朝シャンで中流 なムードを完璧にキープし続けている。こうなってしまってはダークサイドと不潔と 貧乏を排除したあるいはその排除こそ正義という信念を小劇場界の隅々にまで染み込 ませた野田と鴻上の功罪は大きいと言わざるを得ない(本人達はやりたいようにやっ てただけで悪くないんだろうけど)。
 そういう意味で私はたとえノスタルジーと言われようとも80年代以降の小劇場史を 完全否定する立場に立つ。実は大昔のことはよく分かってないし、特定のアングラ劇 団に何か思い入れがあるわけでもないが、なんか昔の方がエキサイティングな感じが していいじゃんという立場に立つ。そういうわけでアングラ大好き。話ものすごくそ れちゃったけど。がんばれルナパーク・ミラージュ。
 あ、感想いってなかったね。昔鬼子母神で観た夢一族の時の方が迫力あるって感じ たね。セットはでかくなってるけど。スペクタクルの目玉である観覧車が未完成で人 が乗れなかったのが残念!でも、やっぱりセットすごいよ。川とかあって。川がある ととりあえず飛び込む人がいたりして。ちゃんとセットが生きてるって感じするね( じゃあ、死んだセットとは何かというと、セットはものすごく立派なのにそれが役者 の肉体と何らスリリングな関係を結ぶこともなく、ひたすら「すごい背景」としての 役割に終始する場合。われわれもそれだけはやるまいと努力しているのにデスミュー ジカルの感想アンケートに「セット維新派みたい」と書いたオマエ!許さん)。


Dr.エクアドルのJ-POP大好き目次へもどる。