今回は映画ネタ。映画はあまり詳しくないのよ。 ビデオで「アサシンズ」を観た。同じマチュー・カソヴィッツ作品の「クリムゾン・リバー」「憎しみ(レテ)」は既に観ている。「カフェオレ」はあまり面
白そうじゃないので、未見。3作の中ではやはり「アサシンズ」が一番面白いと思った。「憎しみ」は、緊張感が高いが暗すぎる。心情(内面
?)に重点を置きすぎる。もやもやしすぎる。「クリムゾン・リバー」は乾いてはいるが、割り切って作っているようなメ
ジャー感がある。メジャー感があるのは悪いことではない。それならそれでハリウッドの超大作みたいに派手派手に決めて欲しい。グロ、恐怖、アクション、スペクタクル、すべてがほどほどで、強烈な印象を残さない。「アサシンズ」が、暗さと、メジャー感のバランスが今の自分にはちょうどいい。そして、バイオレンスの密度が高い。
でも、『「アサシンズ」いい』とかいうと、ゴキブリコンビナートのコンセプトに反するのではないか。誤解を生みそうで注意が必要だ。マチュー・カソヴィッツとかに言及すると「ほら、やっぱりDr.エクアドルはイヤミなサブカルちゃんだった」とか言われそうで。「シュワちゃんとキャメロンはもう組まないんだろうか」とか言ってればみんな納得するんだろうね。
マチュー・カソヴィッツとヤン・クーネンはリュック・ベッソンによって「恐るべき子供達」と言われている。どこが「恐るべき」かというと、多分そのバカさ加減においてだ。でも、一番バカなのは、リュック・ベッソンだと思う。「ニキータ」を観たときのあの衝撃は忘れない。当時としてもあり得ないほどチープでダサイ音楽。テレビドラマ並の陳腐なストーリー。深みのない安いキャラ設定。はじめはイヤみっぽいフランス人が
「アメリカ映画ってこんな感じだよね」ってノリでわざとやっているのかと思った。でも、どうやら本気だったようだ。「恐るべき子供達」によってもまだ「ニキータ」のバカ度は塗り替えられていない。でも、ヤン・クーネンとマチュー・カソヴィッツはいい線行っていると思うよ。
驚くべき事にどうやらフランスには大衆文化という物が存在しない。いや、もちろんそれは言い過ぎなのだが、日本やアメリカを始め他国に発信できるほどの豊かさがない。あ、シャンソンとかあるね。ええと・・・若者向けのポップカルチャーにそれがないっていえばいいのか。フランスでは難解な哲学書がベストセラーになる。日本みたいにタレント本とかじゃない。それだけ聞くと「フランス人ってみんなインテリ?」って思ってしまうが、そうではない。タレント本を読む層が存在しない。まさか、庶民が何も読まないって訳じゃないと思うが活字文化はインテリに独占されているようだ。そして、映像文化もそうだ。あと、マンガまでそうだ。フランスのコミックはバンデ・シネといって、アメリカンコミックの影響下にありながらアート度が高く、日本のように労働者やヤンキーが電車や建築現場の詰め所で読むようなモノとは根本的に違う。
「ティコ・ムーン」「バンカー・パレス・ホテル」等のアート映画で有名なエンキ・ビラルもバンデ・シネの旗手だ(でもメビウス+ホドロフスキーの「ランカル」は一度ちゃんと読みたい)。
映画に関してもフランス映画と言えばながいこと「カイエ・デュ・シネマ」系の知的でクールで超難解な映画が代名詞だった。庶民でもまあ観れる映画と言えば「赤ちゃんに乾杯」と「人類創世」ぐらいなものか(言い過ぎ?)。しかし、「新しい波」の旗手達も老人になり、そんなモノ始めっからなかったかのごとく振る舞う連中が台頭してきた。「ネオ・ヌーベル・バーグ」と呼ばれている人もいるようだけど、ネオじゃないヌーベル・バーグの支持者を瞠目させるには至らず、フランス映画は次第にバカへの道を歩みだしているようだ。まだまだアート臭いけどね。やっと文化が民衆に根付き始めたのだろうか。
だとしたら断然応援だ。エンターテイメントなんて何も考えなくていいじゃんよ。
リュック・ベッソンも「ニキータ」は奇跡的な作品だったようで、それ以降のダイバーのヤツとか、水族館みたいなヤツとか、近未来なヤツとか今ひとつヘタなモード感覚で勝負しているようだ。捨て切れてないようだ(「レオン」は未見)。彼が撤退したエリアに「恐るべき子供達」が、進出してきた。希望は彼らにある。でも、「恐るべき子供達」とか言われているようじゃまだまだだね。