no.69 「チンポの時代」終わる(02.6.07)
昔、客演した劇団で「処女コレクション」というのがあった。客演したのが97年の冬ぐらいだから結構前だな。5年前?そういえばそれから客演ってしてねえな。よくアンケートとかで芝居が下手とか書かれるが、そりゃあゴキブリコンビナートしかやってないんだから下手にもなるだろう。
処女コレはオリジナル台本が多いのだが私が出たときはなぜか寺山修司だった。劇の始まりから終わりまで終始全裸、チンポ出しっぱなしだった。私だけでなくほぼ男優全員フリチンだったと思う。驚くべきは「主人公の母親役」というのをそこの主宰がやっているのだが、つまり男優女役なのだが、フリチンなのだ。普通
は女の服とか着るものだと思うが、顔だけ女メイクでフリチンだった。寺山修司にはヌードの役が度々出てくるが、その台本を普通
に読む限り脱ぐ役はない。観客はさぞ混乱したと思うが、役者も主宰以外は何でフリチンなのか理解してなかった。
その後、処女コレは「醜団リンチ」という名前に変えた。アトリエ公演を観に行ったが、やはり全員全裸だった。それで、私の頭の中に「醜団リンチ」は「何かをするために脱ぐのではなく、ただ好きで脱いでいる劇団」という形でインプットされた。ところで「頭の中にインプット」ってもう使っちゃダメ?「インプット」って死語になりそうだな。
この間久しぶりに観に行った。客出しの挨拶で役者全員泣いていた。そう、最終公演だったのだ。といっても解散というわけではないらしいが、しばらくお休みということらしい。チンポ劇団の最期を見届けたぜ。
我々も一部では「チンポを出す劇団」と認識されているらしい。アンケートとか観ると「今回はチンポ出てなかった」「もっとチンポ出せ」「主宰はチンポ出せ」「チンポ見れなくて残念」とかよく書いてある。どうしてそんなにチンポが観たいのかさっぱり分からない。そんなに珍しいか?男用公衆便所で横のやつのを覗けよ。男湯にでも行ってろ。
以前、イベントでカテーテル兄弟というのをやった。チンポ出すことより舞台上でチンポに尿道カテーテル刺してることの方が個人的には勇気がいることで、そうそう気軽に出来ることではないのだが、そういう客は「あ、チンポ出てる」ぐらいにしか思わないようだ。
「報復ファンタジア」では、豚とシックスナインした。豚のマンコなめることの方がチンポ出すのより個人的には勇気が要ることで、それなりに見せ場になるように考えたはずなのだが、そういう客は「チンポ出てるか出てないか」ことしか気にしないようだ。
体を駆使して濃い人間ドラマを作る都合上、どうしても裸になるシーンが出てきてしまう。生きていればチンポ出すこともあるからしょうがないのだ。本番シーンがあってもそういう客は「あ、舞台上で本番だ。珍しい」とは思わず「チンポ出てる」ことが気になってしまうのだろう。そういう客は本当に困る。公演間近になって事務所(というか私の自宅)に電話がかかる。「今回はチンポ出ますか?」と聞いてくる客が必ずいる。ウザイので「出ません」と言って切る。
チンポを出すことが何かの過程で必然的にそうなったのではなく、チンポ出すために出している劇団だと思われたくないのだ。
で、醜団リンチも休眠状態に突入したが、もっと有名な「某チンポで笑いをとる劇団」もまもなく消滅するらしい。実はその劇団の存在が我々に対する誤解を生んでいるのではないか。「チンポ出すところは笑いどころ」という概念を演劇の客にうえつけたのはあの劇団だったのではないかと思っていたので、ちょっと「へえ」って思った。とりあえず我々も「チンポの劇団」とは言われなくなるだろう。一括りにするためのとっかかりがなくなるので。
あ、「チンポ劇団」もう一つあったな。結構ファンだったが、この間観たら大変なことになってた。ジョン・ケージの「4分33秒」を見せられているようだった。何しろ舞台上では何も起きないのだ。ただ怒鳴りあっているのだが、その内容が「何か言え!」「今考え中」とか「俺もつまらないがお前はもっとつまらない」とか「だってそういう企画なんだから」とか「このままではまた昨日と同じ膠着状態だ」とか終始「黙れ」しか言わないヤツとかとにかく企画の理不尽さをみんなで呪い会っているようにしか見えないのだ。前代未聞!以前似たような企画で王子小劇場でやったときはもっと殺伐とした雰囲気が漂っていて緊張感があったが、今回は殺伐とした雰囲気をもり立てるようなネタもなく、重箱の隅をつつくようなことを言い合って騒いでいるだけなので、怒鳴りあってはいるもののむしろ仲良しサークルがじゃれ合っているようにしか見えない。正直あまり楽しめなかったが
もしかしたら私が理解できないだけで実はものすごく斬新な前衛コンセプチュアルアートが成立していたのかも知れない。確かにコンセプチュアルの前衛って娯楽の視点からするとすごく寒いことやるよな。モナリザにヒゲ書き加えたり、島やら橋やら布でつつんだり、万里の長城爆発させたり、娯楽とかギャグの観点で言うと話にならないことが「コンセプト」やら「歴史をふまえた批評性」みたいな部分で一部の目の肥えきった芸術飽食人間達だけに喜ばれ続ける。そういった文脈で「何していいか分からないまま舞台上に放り出され焦燥感と倦怠感の中右往左往する出演者の姿をひたすら見せる」というやり方もありなのかも知れない。あの劇団がそういう道を進むのだとしたら我々と一括りにする人もいなくなることだろう。
そういうわけでチンポ劇団は死に絶え「チンポ劇団」という括りも死に絶えたようだ。我々にやりやすい状況が生まれるのだろうか?まあ、何も別
に変わらないだろうな。