Dr.エクアドルのJ-POP大好き目次へもどる。


no.71 哀悼!(02.6.16

 80年代後半のテレビブロスは俺の青春だ!当時マンガ以外で毎号欠かさず買ってる雑誌はテレビブロスだけだった。そして、読み物だけ読み終わると何処かへ行っちゃうので番組欄を活用してなかった。あのころ、楽しみな連載がいっぱいあったね。結局、連載を読むために買ってたよ。そういう人当時は俺以外にもいっぱいいたんじゃないかな(今はもういまい)。うわさで有名になる前の石丸元章の「ダビデ」とかよかったね。佐藤まさあきのイラストもイカス!いろんな人の名前をこの雑誌で知ったな。嫌いな人の名前もそこで覚えた。ハイパーメディアクリエイター高城剛とか。川勝とか。このころのテレビブロスが俺の人格形成に多大な影響を及ぼしてる気がする。他のどんな芸術よりも書物よりも、もちろん演劇よりも。
 そして、俺のブロス史のなかで一番よかったコラム、マイベストオブブロスはナンシー関が書いてた頃のブロス探偵団だ。これは無署名記事なので編集者が書いているような印象を与えるが、このコラムの存在が俺のブロス購読を決定づけた。ある日ナンシー関本人の告白「あれ、かいてるの私だから」があり、そして告白後ナンシーはブロス探偵団を降り、次号からブロス探偵団はどうでもいいつまらないコラムに変わった。だが、ナンシーのコーナー自体は別 枠でそれ以降も数年続いたと思う。そして、俺はその後もナンシーのファンであり続けた。ナンシーの文体には「トホホ・・・」とか「しんぼうたまらーん」とか、恥知らずさでは人後に落ちぬ 俺でもちょっと真似しがたい部分があり、文体的には影響を受けてない。しかし、そのスタンスみたいな部分から多くを学んだ気がするよ。
 そういうわけでナンシー関は、ゴキブリコンビナートに呼びたい有名人のうちの1人だった。しかし、「ムーンライダーズが好き」と公言するナンシーなので、
我々の芝居を見て喜んだりはしなかっただろう。今までの自分の交友遍歴でムーンライダーズが好きなヤツに好感を覚えたことは一度もなく、みんないやみな人ばかりだったので、身近にいて仲良くなれるタイプではないようだ。 残念。そして、死んじゃった
 90年代に突入し、ナンシーがブロスを離れる頃から他の人のコラムもつまらなくなり、ブロスを買うのをやめた。ナンシーに関してもそれ以降はあまり追いかけたりしなかった。クレアとかで連載してたな。大月隆寛と対談とか始めるあたりから、個人的にも飽きが来ていたようだ。ところであの企画は失敗だったね。大月隆寛ってそもそも何だったんだろう。企画としては毒舌同士をぶつけるというのだったんだろうけど、大月隆寛のは違うだろ。あれ、ただの屈折した正義だよな。結局、噛み合ってなかったし。町山広美との対談は、もう少しマシだったけど。ところで町山広美ももとブロスのライターだね。ナンシーといっしょに「オッシーとナンシーの小耳にはさもう」をやってたオッシーこと押切伸一と結婚したね。
町山広美の兄弟の方、初期のBOW!でバカ町山とか言われてた方はまだブロスで活躍中!どうでもいいけど。
 病床に伏せることなく、何の前触れもなくサドンデスだったらしい。肩書きは消しゴム版画家。おそらくずっと家ですわったままで消しゴムをひたすら彫り、テレビは延々見続け、時々番組中に納得できないことやむかついたことを発見すると、連載のコラムに書き、トイレの時だけ立ち上がる、という移動の極端に少ない生活を続けて生命のレッドゾーンまでどんどん肥え太っていったんだろうね。黒縁の眼鏡はどんどん頬肉に食い込み、そして30代で急死!ある意味尊敬に値するというか、美学を感じさせる生き様だ。
 謹んでご冥福をお祈りいたします(こんなことここに書くの最初で最後だろうな)。やっぱり、おぼこのまま死んだのだろうか。そして、前回を受けて、もう一言!

小娘のメンタリティには興味ないが、大娘はサイコー!

 



Dr.エクアドルのJ-POP大好き目次へもどる。