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no.75 とっくに死んだはずのビートパンクよ、蘇るな。(02.9.17

 昔、アンケートとかで「パンク演劇だ」とか評されて嬉しかった記憶があるな。その時は。しかし、パンクって何だろう?実は、パンクの代表的なバンド(クラッシュとか)をちゃんと聴き込んだことがない。よくわかってないのだ。今も。だが、「パンク」という言葉自体に何となく引き寄せられる部分が心の中にあり、パンクバンドのアルバムを集めようという気もないくせに「パンクな映画だ」とか聞くと観に行きたくなり、「○○パンク」とか聞くとどんなものか知りたくなる。それにしても「スチームパンク」はないだろうと思うが、そんなのも間違って買ってみたりする。しかし、次のような歌のフレーズを聴くとそんな気持ちも一気に萎えてしまう。

  ♪僕 パンクロックが好きだ ああ やさしいから好きだ 「パンクロック」 by ブルーハーツ

 え?パンクってそういうもんだったの?やさしさ?なにそれ?

 80年代後半ブルーハーツを代表とするビートパンクの台頭は確かにある意味衝撃的だった。否定と暴力と破壊とモラルの拒否といったイメージを勝手にパンクに対して抱いていたが、彼らの提示した「パンク」には平和とやさしさと青春と無根拠な前向きさと安易な励まし、押しつけがましい理想論といった「パンク」が否定したはずのもの、というか、否定したと私が勝手に思っていたものがぎゅうぎゅうに詰まっていた。
 私はパンクそのものについて多くを知らない(リアルタイムでもないし)が、おそらくビートパンクはパンクではないと思う。パンクっぽいファッションでたてノリの曲をやればパンクなのかというとそんな筈はない。じゃあビートパンクは何だったのかというと、「ニューミュージックの逆襲」である。おそらくロックですらない。
 ブルーハーツの2ndをプロデュースし、ブルーハーツのメジャーでの成功に貢献した佐久間正英氏ですらこういっているんだから間違いはない。

 「ブルーハーツは決してパンクバンドではありません。そもそも、パンクにポジティブな歌詞は似合いませんし、それはある意味タブーです。個人的には日本のパンクバンドに関してはアナーキーに始まり、アナーキーに終わったと思っています」

 プラスチックスの元キーボード奏者が言っているんだから、きっと正しいのだろう(しかし、それにしても彼が今までにプロデュースしたアーティストといえばボウイ、ジュンスカ、ジュディマリ、黒夢、GLAY、ヒスブルと、そもそも本物のパンク、本物のロックといえるようなものは一つもない。日本のロックをロックのJポップ化(=ロックを腐らせ、終わらせ、歌謡曲としてのこじんまりしたほのぼのロックとして再生させること)に貢献した第一人者といえるのではないだろうか。もちろん、私はロックファンではなく、Jポップファンなので、彼の功績に好感を持つべきなのだろうが、どうもそういう気になれない。)。

 ところで、80年代後半から盛り上がりに盛り上がったビートパンク・ムーブメントも90年代に入ると衰退に向かった。ブルーハーツは一人は幸福の科学に入信、一人は元から阿含宗、ファンクラブの会長は「オウム真理教の言っていることと、ブルーハーツは、すごく近い」と、オウムに入信、そんなこんなが原因かどうか知らないがそんなこんなが話題になっている渦中に解散した。まことにわかりやすい結末だ。だれもそんな正義の味方を気取ったバンドが本物の無神論者な筈がないと 思っていた(といっても甲本と真島が何らかの宗教を支持しているという証拠は今のところない)。
 ところが、この21世紀になって今更ながらブルーハーツ(=ビートパンク)再評価の波が押し寄せようとしてる。

1つは、今更ながらブルーハーツそっくりのバンドたち。「♪人にやさしくされたとき〜」で始まるモンゴル800の「あなたに」を初めて聞いたとき、ブルーハーツの知らない曲だと思った。 ほかにもGOING STEADY、175R、STANCE PUNKS等の新生エピゴーネンがいるらしい。

1つは、ブルーハーツ自体の再評価。今更「♪あれもしたい、これもしたい」(「夢」)と、CMで流れ、トリビュートアルバムが出されたりする。

 そして、もう一つはパンクロックじゃない音楽家たちへの影響。そもそもこの再評価ブームはドラゴンアッシュの降谷が「ブルハ好き」を公言したところに端を発している気がする。Jラップ系のリリックにみられるあまりにもなにも考えてない前向きさと抽象的で空虚な革命願望にビートパンクの影響が感じられる。こんなものが実生活に根ざした本音とはとても思えない。わかりやすい敵が見えにくくなっているソフトな管理社会、ゆるい階級社会(あまり使いたくないフレーズだな)の日本でストレートで熱いメッセージを気取ろうとするとどうしてもこういう切実さを欠いたものになってしまう。

 そして、西に戦争がおこれば反戦ソングを、テロが起これば反戦ソングをと相変わらずだ。いまごろ反原発ソングを歌うと「ダセー」とかなるんだろうな。イデオロギーにも流行にあわせたTPOがあるってこと?本当は社会のことなど少しも本気で考えてなどいない(それが悪いとはおもわないが)。



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