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no.79  ラジオスターの悲劇 (03.4.12

 気になっていることがある。私が気になっているくらいだから誰かがとっくにどこかで書いている筈だが、未確認なので、私も書くことにする。それは、みのもんた吉田照美伊集院光の三人についてだ。 3人に共通するものは?ラジオ出身であるということ。つまり、ラジオで人気を確立した後、テレビに移ってきたタレントであるということである。そして、この3人は奇しくも3大人気「目が死んでる」タレントでもある。基本的に目の白み部分が多く、黒目は上目遣いがちで、あまり動かない。そして、目・・・というか、顔にいきいきとした表情が宿ることがない。そのくせ、あたりまえのことだが、ラジオでならしただけあって口は異様によく回る。テンポよく、表情豊かにしゃべる。この対比は不気味である。ラジオはそういう職人を養成する場なのか?基本的にテレビの例えばアナウンサーの目が死んでいることはあまりない。テレビとは表情を常に観察され、検証される場なのだ。そこで育ったタレントは自ずと目つきにも気を使うことになるのだろう。ラジオでは表情はわからない。だから出演者は顔に注意する必要はない。自分の話芸だけに集中する。そんな鍛錬を何年も続けているうちに輝きを失っていく瞳・・・しかし、本当にそんなもんなのだろうか?むしろ、景気よくしゃべると、自ずと表情も連動して、逆に無防備に表情豊かになってしまうようにも思えるのだが・・・
 しかし、たまにAMラジオとかを聴くと頷けないことはない。今すぐ、ラジオをつけ、パーソナリティ達の話芸に耳を傾けてみよう。テレビのようなカジュアルさやナチュラルでさりげないキャラ立て(それも多くの場合偽装されたカジュアルさなのだろうが)が全く通 用しない世界が展開されていることに気付くであろう。顔が見えないだけに例えばハガキを読んだときのリアクションなどもテレビとは全く異なるタイプのテンションのもりあげかただ。しかもなんとなく似通 っている。型だ。テレビよりもさらに長い歴史の中で育まれた5年10年スパンの流行では変化しない型だ。彼らは型を学び、こなしているのだ。ハイテンションながらも淡々と!その日常的感覚ではありえない元気のいいしゃべりっぷりの向こうに生気を失ったよどんだ瞳が見えてこないだろうか?
 これはあくまで仮説であり、サンプルもみのもんた、吉田照美、伊集院光の3人だけなので、法則として主張するには少なすぎる。他にはどうだろうか?ラジオ出身のタレント・・・ゆき姐?目つきは悪いが死んでるって感じではないな?他にはいないのか?たとえば、未だにテレビに進出していないラジオオンリーの人気パーソナリティはどうなんだろう。そこまでラジオに造詣深くないのでどんな顔をしているのか確認できない。テレビに出てない人の顔を見るのは難しい。くず哲也は結構目が死んでたような気がするが・・・高校生の頃、時々間違って中島みゆきのオールナイトニッポンを聴いてしまい、歌や写 真で作られた先入観を完膚無きまでに粉砕する異様なキャラクターに恐怖し、戦慄したものだが、あのとき、中島みゆきの目は死んでいたのではないか(普段の顔は別 にそういう顔ではないが )?そんな気はする。
 そして、TBSラジオに入社したばっかりのみのもんたや、ラジオをはじめたばっかりの初々しい頃の吉田照美は、まだ目が死んでいなかったのではないだろうか?長年のラジオ生活があの表情を作り上げたのだとしたら、恐ろしいことだ。現場では、「あいつ、まだ目が生きてる。まだまだだな」なんて会話がおこなわれたりしているのだろうか?伊集院などまだ、若いのに!仕事というのはこうまでも人間を変貌させるものなのだろうか?
 あ、今思い出したが、所ジョージも最初ラジオで人気に火がついた人だな。別に目は死んでないな。目だけ見ると目の形もあるんだろうけど穏やかな笑みを常に湛えている。杞憂だろうか?杞憂であって欲しい。
 ところで、目が死んでる3大タレントって書いたけど、あれはウソで、実は芸能界でもっとも目が死んでるタレント、キングオブデッドアイは言うまでもなく田代まさしだ。ラジオの人じゃないのでわざとはずしました。ごめん。最近しょぼい犯罪でよく捕まっているけど、あの目はそんなしょぼい犯罪でおさまる様な目じゃないよな。あの目は本当にマジハンパなく怖い。
 


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