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no.82  癒し系の分際で (03.7.2

 一青窈といえば、キロロとか夏川りみとかいった流れを汲むアーティスト、すなわち「疲れ、傷ついた人を和ませる音楽=癒し系」というイメージで定着している人だと思うし、私も全くそれに異論はない。地味であまり遊ばない人たちに支持される音楽。沖縄の次は台湾かよって感じでわかりやすくてたいへんよござんすな。
 ちなみに我々の2ndCDに「もらいゲロ」という曲があるが、別 に「もらい泣き」をパロったわけではないので誤解せぬよう。去年のクロコダイルのライブで既に披露しているわけで、「もらい泣き」より先である。
 それにしても一青窈、結構一筋縄ではいかないアーティストのようだ。いろんな情報が入れば入るほど本当は何をしたいのか全く分からなくなる。癒し系でくくられることにも不満があるようだ。いいじゃないか。くくられて。いろいろと気になる不可解な部分があるので、一応列記してみる。どこがどう気になるのかというと・・・

1.音が変。
2.詞が変
3.キャラが変。

 こう書くとまるで部分的に変どころか全部変みたいだが、実際そう感じるのだから仕方がない。一つ一つあたってみよう。

 まず、 1.音が変。だが、一見和み系アコースティックサウンドのようだが、よく聴くと全然アコースティックじゃない。生音っぽさがない。「もらい泣き」にしてもリズムとベースが打ち込みなのはいいとしてもフレーズの終わりにいちいちはいるスクラッチ風の無機質なブレイクは何を意図しているのだろう。これが新曲の「金魚すくい」になるとさらに無機質なサウンドコラージュの比率が高まる。それと生音っぽいオリエンタルなパーカッション風の音と絡み合うのだが、 何らかのかっこよさにつながってるわけではない。ウェットな歌世界を盛り上げる上で足を引っ張っているようにしか思えない。

 次にそのウェットな歌世界であるが(2.詞が変)とりあえず「ええいああ」からドギモ抜かれた人はおおいのではないか?萩原朔太郎が野犬の鳴き声を「のあああるる のああるる おわああああ」(だっけ?)と表現したのにも比較されるべき鮮烈な日本語表現だ。っていうか単に半分外人?「乙女座 言葉にすればする程 意味がない小宇宙」とか単語だけとればロマンティックな気もするが情景やシチュエーションを思い浮かべようとするととたんに何の意味もくみ取れなくて思考停止に陥る詞世界。新曲「金魚すくい」のカップリング「なんもない」は「みなさん、大変です。渋谷の若者が・・・」という意味深(で、少し恥ずかしい)な独白で始まるオタク批判ソング?「渋谷地下一、まんばかだらけ」とか「2ちゃんねるやめちゃえ!っていわれて余計」みたいに他では決して聞けない味わい深い詩句が続く。本当にこんなんで癒されていいの?

3.キャラが変。は、なかなか生の一青窈に出会う機会がなくて残念だが、たまたま車の移動中にラジオで彼女の番組に出会えて衝撃を受けた。前に「半分外人?」って書いたが、実は全然外人などではなく、ちゃんとネイティブとしての日本語を話す。しかもかなりコアな日本語を。コアな日本語って何って?具体的に言えば同人誌キャラ。結構気持ち悪い。ちなみにその番組には「赤ちゃん語コーナー」っていうのがあり、リスナーと「なんとかでちゅ」とか赤ちゃん語尾で語り合い、恋愛相談とか受けるってもので強力なインパクトがあった。そして、彼女の選曲によって曲がかけられるのだが、そのときはアストラッド・ジルベルトだかカエターノ・ベローゾだか一青窈サウンドの支持層が絶対に聴かないような音楽をかけていた。どうやら好きらしい。結構おしゃれさんなのね。頭痛がしてきたよ。

 そんなわけで一筋縄ではいかない一青窈についていろいろ感じることを述べてみました。不幸にもまだテレビでその凄いキャラを確認できてない。早くみたい。

 



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