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no.88 ドッグヴィルなんて観に行かない (03.2.20

 日本では時期ごとにサブカル的な中心ってもんが存在する。感度高いことを象徴的に示すキーワードみたいなものが。ある時はそれがリンチだったし、ある時はシミュレーショニズムだったりバロウズだったり悪趣味だったり・・・輸入元よりは流行のスパンが短く(すぐみんな忘れて何事もなかったかのように振る舞う)、その分話題がホットなときはそれを知らないことが罪悪であるかのような支配力を持つ。基本的にそういう風潮は下らないと思うし、そういう波に乗り続ける人たちに与したくない。無縁でいたいと思う。いま、その中心をなすキーワードの一つはラース・フォン・トリアーなのかもしれない。今、日本でラース・フォン・トリアーはサブカルの代名詞なのかもしれない。だから、ドッグヴィルなんて観に行かない。

 でも、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は、つい観に行ってしまった。まず、ビョークって時点で観に行くべきではなかったのに・・・ビョーク好きなどと公言するやつにろくなやつはいない。ビョーク好きはJポッパー(こないだ自分で作った造語)の敵である。ビョークより浜崎あゆみを愛する、そんな人間でいたい。たしかにミュージカルシーンへの導入で息が詰まりそうなほどグッとくる瞬間ってものが何回かあった。それは同じミュージカルとしても、ちっともゴキブリコンビナート的ではない(昼メロ「牡丹と薔薇」の挿入歌への入り方の方がよりゴキブリコンビナート的に感じる)。だが、楽しんでしまった。私はそれを後悔すべきなのではないか?Dr.エクアドルとしての一貫性を貫くために。その後悔に基づいて、ドッグヴィルなんて観に行かない。

 そうして、ラース・フォン・トリアー作品なんて、嫌味なアートかぶれ映画だよと、一蹴してしまいたい。彼はドグマという若手映画監督集団のリーダー的存在である。そのコンセプトは、端的に言うならハリウッド(=娯楽)への抵抗である。映画は火薬バーン!車がグシャ!ヘリがビルに激突!血がドバー!キャー!お化けが出た!コワイー!では、ダメなのだ。もっと知的な感興をもたらすものでなくてはならない。だから実験精神が必要だ。という考え方。きっと正しいのだが、私はそう言う考え方を憎む。ラース・フォン・トリアーなんて無視したい。

 「ヨーロッパ」。なんだあれ?そもそも何を持って「ヨーロッパ」なのかさっぱりわからん。画面 暗くて白黒で何が写ってるのかもよくわからん。カラーの時代にわざとテクノロジーを後退させて何の芸術気取り?そんな映画を撮る監督の新作など観に行かん。断じて!

 「エレメント・オブ・クライム」。白黒じゃなくなったと思ったら、セピア色一色。何で色を減らして見づらくする!耽美主義?デレク・ジャーマンとか、これみよがしに画面 にフィルターかけるやつにろくなのいない。こんな映画が第2の「ブレードランナー」だって?「ブレードランナー」全面 肯定する訳じゃないけど、かつてアート的な人たちの間で評価されていたからといって、こんな地味な映画じゃなかったぞ。ガラス何枚も突き破っておいかけっこしたり、敵から逃げおおせたと思ってほっとしてたら壁から垂直にアンドロイドが飛び出てきたり、アクション盛りだくさんでこんな淡々としてなかったぞ。即物的なエキサイティングネスを排除するのが知性の証か?ああ、知性結構!だが、俺は観にいかねえよ!

 だが、そんな娯楽に背を向け続けると思っていたラース・フォン・トリアーは、何故かテレビ作品も作る。ハリウッドはダメでテレビはいいのか?しかも当たる。自国デンマークで視聴率50パーセントを超えたって!この作品が「キングダム」。評論家の滝本誠氏が褒めそうな某アート系映画監督の某テレビ作品を何となく思い起こさせ、余りに思い起こさせるので「焼き直し?」と、ツッコミを入れてる人も相当いるだろうなテレビ作品。だが、一日中皿洗い部屋で世間話をしている男女はどう見ても健常者じゃなくて本物(のアレ)だし、病院全体にかなり理不尽な呪いがかけられているし、あ、病院が舞台なんだけどそこで働いてる医師たちは、1人残らず人の命の尊厳なんてこれっぽっちも重要視してない悪の権化みたいな連中だし、その悪の権化同志で足を引っ張り合ってるんだけどやることなすことがいちいち的を射ずまぬ けさまるだしだし、降霊やら催眠術やら土人の魔術やら次々仕掛けが出てきて密度濃く、ついつい入り込んでしまう・・・でも、でも・・・

 若い頃、ニューアかとか流行ってた頃、当時の支配的な論調で、「二項対立はダメ」というのがあり、自分もその尻馬に乗っていきまいていた。そんな時期があった。しかし、そんな高次元なレベルでモノを語れるほど自分は頭よくないということにすぐ気付いてやめた。いまは何も気にせず、二項対立において語る。ブルジョワ対庶民、インテリ対庶民、といった誰もが納得できるわかりやすい枠組みで。表現されたものに関しては、芸術対娯楽。 その枠組みでのみ語る。それに対する自分の態度は単純。娯楽万歳、芸術は死ね。 万事それでOKとしたいものだ。だからあらゆる表現されたものはどちらかにきっぱり分かれなくてはならない。例外は許されない。しかし、ごくたまにそうもいかない場合が生じてその事態が私を困惑させる。例えば暗黒舞踏。山海塾とかじゃなくて、土方とか麿赤児とかの泥臭いやつ。暗黒舞踏なんぞは抽象芸術の一部門、コンテンポラリーダンスなどと称される前衛バレエとの比較に置いて語っていればいいものそんな感じですませたい。 しかし、引き込まれる。観ると胸に来るものがある。抽象的なのに、何か具体的なものを心に刻みつけてくる。そういう場合は非常に困る。ハリウッド=娯楽に対抗しようとするラース・フォン・トリアーについてもなにやら芸術的な試みを盛り込む映画作家ということで無視を決め込みたいところなのだが、そうもいかない部分も見えてきた。いったいどうすれば、この映画監督ををどういう風に心の中で処理すればいいのか?

 「イディオッツ」という映画も非常に私を困惑させる。最初、レストランで白痴(イディオッツ)が暴れていて、一度は「あ、これは白痴とか出てて好きな路線の作品なのかな?」と思う。しかし、すぐさまその白痴は健常者の演技によって偽装されたものであることが暴露され、話は白痴を偽装する妙なサークルで起こる様々なことが中心の映画だと分かる。ここで、ああ、いつもの難解ぶりかよ、と、一度は失望する。結局白痴を偽装する事情については明示されることなく(いくつかのレビューを見た結果 、社会のありように反抗しているデモンストレーションみたいな意図があるらしいのだが、「そう言われればそうか」って感じで、私は観ててそれにありありと気付かされるなんてことはなかった。このサークルは、人をだましたり、無銭飲食したり、金をせしめたり、人を小馬鹿にした行動を繰り返し、内部では観念的な議論が行われているとおもえば性的なパーティーが始まったり、理解できない展開がいっぱいあり、難しい映画である。だから、いつものように「どうでもいい実験的な作風の映画」と切り捨てたい。でも、妙にせっぱ詰まった迫力のあるシーンがあり、また、滑稽で悲しくなるようなシーンがあり、よく分からないままに画面 に目が釘付けになってしまう。非常に困る。これでいいのか?

 極めつけが「奇跡の海」である。先ほど暗黒舞踏の話をしたが、私の中では田舎の閉鎖的なコミュニティの息が詰まるような感じ、因習に囚われた生活の悲しさと息苦しさがいくつかの「泥臭い作品」の中では重要なテーマになっていて、好きなのだが、それは極めて日本的な問題だと思っていた。個人主義が発達した近代的人間の集まりであるヨーロッパではこういったテーマでの作品は成立しない。土着はヨーロッパには存在しない。と思っていたし、多くの人もそう思っていることだろう。だが、この映画で描かれている世界は何であろうか?遠い過去から引き継がれてきた生活を必死で固守しようとする村人達。よそ者への冷たい目。少し踏み外した者への迫害。連帯と表裏一体の残忍さ。その中で「田舎は暖かい」みたいなよくある固定観念はあっさりうち破られ、人間味と言う言葉の過酷なもう一つの面 が浮き彫りにされる。「いい人」は容易に「いやな人」になり、その逆もちょっとした状況の変化で起こる。全然難解ではなく、鋭く人間の本質をえぐった映画である。ここで初めて素直に感動し、好きな作品だと結論づけざるを得なくなる。でも、それでいいのだろうか?

 そして、ラース・フォン・トリアーとは私にとって何なのか?途方に暮れているところで新作の公開の情報が入ったのである。どうしたものだろうか?きけばまたしても田舎の厳しい人間関係を描いたものだという。ちょっとそこで、食指が動こうとするが、実験的な試みも健在のようで、村の生活を描いたものだが、家等のセットや背景はなく、ロケーション撮影もなく、スタジオの床に白線で仕切って家を表現し、出演者は壁やらドアやらをマイムで見せていくのだという。見るものにストイックな想像力のフル稼働を強制する映画ではないか?斬新な試みなのかも知れないが、そもそもそんな斬新な試みなどどうでもいい。想像力もフル稼働したくない。そこで食指が止まる。やはり私なんぞが観に行くような映画ではないのだ。だが、いつにもまして人間関係の衝突する凄惨な展開があるらしい。

 さて、どうしたものか。だが、映画の推薦コメントを寄せている有名人のメンツ。オダギリ・ジョー、吉野朔実といった顔ぶれに見る樹が失せていく。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の推薦者は藤井フミヤ。「エレメント・オブ・クライム」は吉川晃司。まるでロマンティックな恋愛映画並みの扱い。配給会社の人選のセンスは一体何なんだろう。こんな人たちに褒められるのがステイタスだとでもおもっているのだろうか?

 これで決まった!ドッグヴィルなんて絶対観に行かない!・・・でも行くかも・・

 

 

 

・・・・後日譚:結局観に行った・・・衝撃を受けた!!

 


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