no.94 一から出直します。 (04.10.26)
「J文学よ死ね」というコンセプトに基づいて、様々な小説らしきものを読み続けてきたが、結果
として出てきた感想と言えば文学は難しくて読めないというものだった。高校生の書いたものすら読めないなんて、「死ね」どころじゃないよな。まあ、それもその筈、東北の寒村で、大自然に囲まれた中で野山を駆け回りながら育ち、小学校も中学校も分校に限りなく近い規模、クラスの半分以上は農家のご子息、おまけに校内暴力全盛期なのでほぼ全員ヤンキー、そんな環境で10代終わりまで過ごした私に読書など縁遠いものだった。一番本を読んでおかなくてはならなかった時期をそういう風に過ごしたので、現代文学読解に十分な読書力など育成されるはずもない。まあそんな環境でもたきぎを背負いながら本を片手に山道を上り下るあの銅像のごとく意欲さえあればシティ育ちに引けを取らない教養を身につけることもあり得るので環境などはいいわけにならないわけだけど。とにかく幼少時や思春期に読むべきものを省いたのでいまさら文学の最前線などに触れても手も足も出ないのは当たり前なのだ。
そういう反省に立ってDr.エクアドル38才、現代文学の前衛最前線(そんなものが仮にあるとして)に食い下がろうとする悲しい悪あがきはもうやめることにする。
では、どうするか?Dr.エクアドル38才。お子様向け文学から再出発することにする。小学生以下対象に書かれた名作を読みまずは、人並みな読書力をつけるのだ!
J文学に届くまで何年かかるのかな?
というわけで誰もが知ってる子供向け名作をいくつか購入し、読んでみたぜ。まずは「赤毛のアン」そして「家なき子」さらに「トム・ソーヤーの冒険」それからその続編の「ハックルベリイ・フィンの冒険」。まるでカルピス名作劇場のごときラインナップ!♪ルフルン、ルフルン、ゆきうさぎ、ゆきふる夜はゆきうさぎ。まっしろまっしろラリラリラリラリ〜・・・・と、あのカルピスCMソングが耳にこだまするぜ。
で、名作読んだからには読書感想文もちゃんと書かねっきゃなんねえよな。文学好き児童として。と、いうわけで以下はその感想文。この時点でブッラウザの「戻る」をクリックしたくなったヤツが半数を超えたとみた。そんなもんもはや誰もよみたくないかい?気にするものかい。続けるぜ。
一つ目は「赤毛のアン」。これは苦痛だった。ちっとも面 白くねえ。子供向けっつうよりはっきり少女向けだな。俺の大っきらいな小娘のメンタリティ炸裂。はっきりいって少女マンガ。これといったテーマも主張も人生の苦悩も魂のギリギリの叫びもない。ちょっぴり天然入ったアンがことあるごとにドジ踏んで周囲を巻き込み、単調な田舎の生活に飽き飽きしてた周囲の人たちに意外にも結果 的に愛されるというエピソードの数々。このアンのキャラが愛せるかどうかで作品を楽しめるかどうかが決まるわけだが、このアンがいわゆるこまっしゃくれたガキで、とにかく能書きばっかりたれる。「夢見がち」という言葉があるがその重度障害者クラスのレベルに達している。見るもの聞くもの、あらゆる刺激に出会うごとに彼女お得意のイマジネーションとやらがフル稼働し、しゃべり出すととまらなくなる。引き取られた孤児が養父母に愛されるようになるというプロットは、ハイジとか定番モノだが、そこにはイノセントさのかけらもない。イノセント賛美もむかつくが、これはこれで十分不快。あげくに地道に現実的に生きてる田舎の大人達に「イマジネーションが足りないわ」とダメ出し。やめてくれ。俺はイマジネーションという言葉が一番キライなのだ。芝居をつくっていてもイマジネーションを働かせないように極力努力してつくるように心がけている演劇人の風上にも置けない俺にその言葉は禁句だぜ。あと、学校では勉強は優秀で後半は受験勉強にいそしむ場面 がメインになる。そして受験戦争に勝利する。なんだこれ。勉強できる児童文学の主人公なんてあり得るのか?以上です。ぼくは「赤毛のアン」を読んでかように思ったのでした。終わり。
次は「家なき子」。どういう話かというと、母子家庭だと思って8才まで育ったら、実は捨て子だと明かされ、暴力的なガテン系職人の義母の夫が突然現れる。主人公をさんざんビビらせたあと、事故でカタワになりクビになったということで旅の一座に売り飛ばす。この旅の一座というのが動物劇団で出演は猿と犬のみ。猿の召使いの役にありつく。で、過酷な旅興行で座長の老人も猿も犬もオオカミに食われたり凍死したりしてみんな死ぬ 。花栽培農家に拾われ、農作業を手伝って一時は平穏な日々を送るが、ある日嵐が来て大切な温室が壊滅し、一家離散。今度は仲良くなった浮浪児と再び旅芸人に復活し地方を回る。花栽培農家時代の同居人を訪ねていくと炭坑夫になっていて、石炭掘りを手伝う羽目になり、洪水が起きて斜坑に閉じこめられ、衰弱死寸前となる。そのあと、実の家族と再会するが泥棒一家で親の罪をかぶせられ、投獄される。と、いった感じで息もつかせぬ 大冒険の数々。行く先々で疫病神のように出会う人々に災難をもたらし、とても面 白い。また、炭坑町の描写が産業革命時代というもっとも過酷だった時期のブルーカラー生活が鮮明に描写 されていて興味深い。産業革命時代の炭坑ってなんか郷愁さそうよな)宮崎アニメファンか!)。
「トム・ソーヤーの冒険」、「ハックルベリイ・フィンの冒険」は「ハックルベリィ」の方が面 白かったかな。アメリカは新教徒が大挙して移住して開拓したりしてたので最初っから近代的に発展してきたような印象をもってたが、開拓時代は迷信深く、魔術的な時代であり、怪しいキリスト教の分派(乱婚制だったり一夫多妻制だったり)がはびこったりしていた。そのような時代背景からモルモン教も発生してくるのだが、大人の黒人奴隷がガキのお化け話を真に受けて本気で怖がったり近代化されてない時代のアメリカの雰囲気が興味深かったです。
ところでこのシリーズ続くのでしょうか?2回目あるのでしょうか?読んだ人はこういうのすぐ飽きそうだなとお思いでしょうが、私もそう思ってます。現代純文学は遠いぜ。