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no.100 ミュージカルの勉強2 (05.2.14

 第91回「ミュージカル映画って微妙だな」で「有名作品をもっと観る」と宣言したので、今回また何本かまとめて観ることにした。ミュージカル演出家を自称するくせにちゃんと観た有名作品が余りにも少ないのだ。で、観ようとしたんだが・・・なんかビデオ屋に行っても聞いたことのあるタイトルがもうあまりないんだよな。どうやら有名なの前回で観終えてしまったらしい。困った・・・。あるいはミュージカルについて本当に知識が浅い(だから実際は有名でも分からない)ということなのだろうか?とりあえず、何とか5本ほど見つくろってみました・・・

●メリー・ポピンズ

 タイトル聞いたことある。有名作品だね。っていっても有名なのは本(原作)の方だと思う。ミュージカル映画としてはどのくらい有名なのか?きっとたいしたことない(推定)。「サウンド・オブ・ミュージック」で主役だった人(ジュリー・アンドリューズ)が主役。この時代のミュージカル界のトップスターなのかねえ。でも別 段かわいいとか綺麗とかじゃないので多分歌がうまいってことだろう。確かに上手い。でも、なんだかクラッシック系っていうか、声楽っていうか、教育ちゃんと受けましたった感じの上手さだね。ってことはやはり日本で言えばペギー葉山的な位 置づけってことか。あと森山良子とか。
  「サウンド・オブ・ミュージック」ではお手伝いさん(子供の仕付け係)の役だったが、ここでもお手伝いさん(子供の教育係)。同じ役じゃん。「サウンド・オブ・ミュージック」の基本設定は、厳格な父親が高圧的に子供に接するギスギスした家庭にジュリー・アンドリューズが新しいお手伝いさん(子供の仕付け係)としてやって来て、父親もいつしか心を開きやさしくなり、家庭生活にもうるおいが・・・というものだったが、この作品の基本設定はというと・・・厳格なお父さんが高圧的に子供に接していて、そこにお手伝いさんが現れ、ギスギスした家庭にうるおいが・・・全く同じじゃん
 正確にはお手伝いさんではなく、作品中では乳母と呼ばれている。字幕に乳母って出る。 乳母?・・・どういうこと?この表現が全く謎である。翻訳の失敗?それとも原語でそうなってる?子供は幼いけどちゃんと立って歩いていて決して赤ちゃんなどではない。誰も授乳などしない。もちろん誰も見たくないジュリー・アンドリューズの授乳シーンもない。
 
内容はシュルレアリスムこの上ない。ジュリー・アンドリューズが乳母面 接に受かるため他の乳母候補たちを風で吹き飛ばしたり、突然背景がアニメになったり、メリーゴーランドに乗るといつの間にか競馬で優勝したり 、暖炉をのぞき込むと対流で上昇し、屋根の上に飛び出し、何百人という煙突掃除屋が出てきて踊り狂ったり(本作品のクライマックス)、お父さんが会社(銀行)をクビになりかけるが、身障者をからかったブラック・ギャグを放って会長を笑い死にさせ、その功が認められて重役に昇進したり、大道芸人が登場するたびに転職してたり、頭の痛くなるエピソード満載で、さすが重度ヤク中ウォルト・ディスニー!そのアシッドぶりフルスロットル!と、言いたくなる。が、そうではなく、なんのことはない。単に子供の目線。世の中のしくみも現実も知らない子供の世界観ってこんな感じってのが 展開されているのに過ぎない。片づけとか魔法でやってくれたらいいなあ。苦い薬も魔法でおいしくなったらいいなあ。犬や馬やペンギンとお話しできたらいいなあ。みたいな大人からみたら不条理な子供の願望、ドラえもんが世界のどこかに実在していると信じている時代の世界観を描いたらこんな風になったってぐらいのことだろう。でも子供にちゃんととどいているのだろうか?なんだか心配なのは、童心へのノスタルジーで支持されてるんじゃないか?ってこと。現実の壁にぶつかり、挫折と妥協をしり、汚いことにも手を染めてしまった大人になる前の夢いっぱいの状態に戻りたいという強烈な叶わぬ 願望で支持されているんじゃないか?そんな感動だとしたら、大人になり、社会に接することで必然的に抱え持つ病んだ部分や心の醜さをむしろこれも人生の醍醐味として積極的に引き受けていこうというメッセージを訴え続けて10年のDr.エクアドルはむしろ同情するね。あんたら悲しいよ。
 ところでこの作品の致命的な欠陥は子供に夢をあたえ、童心を思い出させる作品だというのに当の主演の子供役二人が余り可愛くない、というか、この上なくブサイクだということだ。本当にブサイク。一体どういう意図によるものか?歌がうまかったからか?でもあまり子役は歌わない。姉弟して眉毛ないし笑顔とかかなりブキミである。ちょっと問題あるよこれ。わざと?

●キャバレー

さて、口直しに次は大人向けのものにしよう。タイトルからしてさぞかし大人向けなんだろうな。
 ライザ・ミネリ ってよく聞く名前だが、はじめて見た。この映画でのライザ・ミネリは素晴らしいらしいが、俺にはよく分からない。変な髪型と厚化粧のせいで鉄腕アトム実写 版って感じだ。あるいはケン・ラッセル映画で死にかけた人がみる幻覚に現れる人(横には黒人)。是非ケン・ラッセル映画に出てほしいものだ。さぞかし素晴らしい映画になることだろう。でもそういう事実はない。残念だ。
 三角関係が本当に文字通りの三角関係だったり、ナチの台頭という不穏な世相とキャバレーのバカ騒ぎを対比したり、なるほど大人向けの意匠が凝らされている。だが、どういう風にミュージカルなのかというと、シーンの節目に内容に沿った歌とダンスが、キャバレーのショー仕立てで展開。 シーンの節目節目にキャバレーのシーンに切り替わり、歌や踊りがある。まるでスーパーモンキー孫悟空。事件の渦中の人間が突然歌い出すというミュージカル本来の馬鹿馬鹿しさを周到に回避しようとしている。ダメだ。

●オールザットジャズ

 友達というか劇団関係者の1人から「是非観るように」と渡された一本。上の「キャバレー」と同じ監督によるものらしい。冒頭でミュージカルのオーディションに集う長蛇の列。オーディションが始まり、振り落とされていく候補者達。誰を選ぶかでもめる演出家とかプロデューサーとか・・・
 ああ、またこれか。何回も観たよこういうの。
 で、例によって前回さんざん批判したメタミュージカル。ミュージカルをめぐるミュージカル映画。しかも映画をめぐるメタ映画でもある。主役は舞台演出家にして映画監督なのだ。で、これを監督した実際の監督もそうであり、ボブ・フォッシーとかいう監督の自伝的、私小説的要素も含まれているようだ。
 事態は複雑を究めているのだ。ミュージカルという概念をこれでもかというぐらいこねくりまわしてわけ分からなくなっている。
 ストーリー的には恐らく単純なのだが、時間軸が交錯し、夢想と現実が織り混ざり、 決して分かりやすい作品とは言えない。大人向けにも限度ってものがあるよな。
 
主人公の舞台演出家兼映画監督は、もてるダメ人間。こういうキャラって本当に苦手だ。太宰治とかアラン・タネールの映画とか、「俺はダメだ」とかいいながらセックスしまくるようなの。

 もう余りに現代風なもの、モダニズムの風が吹きまくってるようなのは勘弁して欲しいな。そうなるとやはり、過去の名作で口直しだ。

●王様と私

 民族観への反感でタイからブーイングを浴びまくったジョディ・フォスターのではなくて、昔のヤツを観た。またミュージカル内ミュージカルの話になるが、「アンクル・トムの小屋」をタイ伝統演劇にアレンジした作品の上演シーンがあるが、これが身震いするほどに素晴らしい。これが観れただけで今回の企画は成功!何本も借りてよかったと言える程である。
 作品全体的には王様と私の関係が「私」にとって結局何だったのか曖昧だし、王様他、シャム人の主要人物がどうみても白人だし、インチキ臭いどうでもいい内容だと思った。

●オズの魔法使い

 これもこのミュージカル映画がとりわけ有名とかそういうのではないだろう。昔TVで日本製のやってたが、ミュージカルだったっけ?ドロシー役をシェリーとかいう外人の女の子がやってたが、シェリーって何の人だったんだろう。今思い出すと、キャロライン洋子とか職業のよく分からない外人タレントいっぱいいたような気がする。
 あ、この作品について何か言わねば。
 冒頭の異世界に飛ばされるとそこはこびとの国。うじゃうじゃ出てくるおびただしい数のコビト、コビト、コビトの群!いいんですか?こういうの?
 
で、他のシーンはというと・・・忘れました。

 

 何だか今回は不発だったな・・・でも、まだやる気です。3をお楽しみに!



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